現在2021年3月17日20時35分である。(この投稿は、ほぼ1675文字)
麻友「エントロピーとログ、どっちも、何度も出てきたのに、きちんと完成してないわね」
私「これは、申し訳なかったと、思っている。実は、2017年の、『相対論への招待(その5)』で、あそこまでお膳立てしたのに、翌朝8時15分にもなって、疲れ切ってしまって、眠りに落ちてしまった」
麻友「徹夜だったってこと?」
私「そう」
麻友「でも、最近は、徹夜した投稿、全く影を潜めたわね」
私「私が、自分の病気に、病識を持ったということなんだよ」
麻友「なんか、カッコいいこと言って、本当はどうなのよ」
私「カッコいいとか、そういうことじゃなく、私が、2018年頃まで、徹夜でブログを書いていたのは、『寝ちゃったら、明日になって、仕事が待ってるから、今晩中に書こう』と思って、少しでも寝る前の睡眠薬を後ろに延ばして、ブログを書いていたからなんだ」
麻友「でも、私に会う、2015年より前は?」
私「それは、ちょっとやってたことが、違う。『今晩中に、『数学基礎概説』1ページでも、読もう』とか、『今晩中に、少しでも、ブルバキ読もう。そうしないと、明日になったら、仕事がある』とか、そういうことで、夜更かししていた。ブログが、加わったのは、2005年2月15日からで、それも、最初から、徹夜していたわけではない」
麻友「ちょっと知りたいから、核心に向かうけど、病識を持って、何が、変わったの?」
私「『明日になっても、仕事は、待ってないんだ。今晩、ブログで麻友さんに伝えたいことは、『麻友』ノートに、メモだけ書いて寝ちゃっても、明日思い出せるんだ』と、信じられるようになって、気兼ねなく21時になったら、オランザピンとセロクエルとフルニトラゼパム2錠ずつ飲んで、寝るようになったことなんだ」
麻友「でも、筆が乗って、0時過ぎたりとかならないの?」
私「アメリカに持ち込めない、フルニトラゼパム1mgを、2錠飲んで、その上、セロクエル100mgを、2錠も飲んで、起きていられる人間は、いない」
麻友「つまり、障害年金に頼り、お父様に頼ることと、引き替えに、病気のための薬を、処方箋通り飲むことを、受け入れたということなのね。いつ頃?」
私「これ、記録が残っているんだ。このブログの2018年の『吉野弘さん亡くなってたのか(その6)』という投稿で、
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「そもそも、なんで、太郎さんは、そんなに、自立にこだわるの?」
こだわってないよ。こだわっているのは、私の父だよ。
「えっ、太郎さん。自立なんてしなくてもいいと思ってるの?」
私、そもそも、自立という言葉の定義、よく知らないし。ただ、父が、『自立しろ~、自立しろ~』って言ってるから、調子合わせてただけ。私は、自立なんて、どうでもいいよ。
「本当に、太郎さんって、あっけらかんとしているというかなんというか。そっかー、数学の太郎さんに取って、定義が曖昧な、自立なんて言葉は、ないのか」
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(『吉野弘さん亡くなってたのか(その6)』より
と、書きながら、頭が整理されて、それをアウトプットできたんだ。もう1回入院して、薬も変わって、今は、かなり人間らしく生きている」
麻友「またエントロピーとログを、書けなかったわね」
私「ここで、寝るのが、健康の秘訣なんだ。おやすみ」
麻友「おやすみ」
現在2021年3月17日21時52分である。おしまい。